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2011年6月 4日 (土)

母が逝きました

先月二十二日の午前2時15分、母が多機能不全のため、現世を去り、帰霊いたしました。
母は亡くなる一月前に、腹部の膨満感を訴えて、病院で検査を受けたのですが、それが裏目に出ました。
2日間に及ぶ検査の結果、母は体力的にもかなり疲弊してしまい、それに従前からの腹部の膨満がひどくなって
次第に体力が衰えてゆきました。2日目の検査を終えたとき、主治医から、私に対して「93歳という、母の年齢を考慮すると、更なる検査を続けるのがよいか、ここで検査をやめて、自宅療養するのがよいか判断を任せる」と言われました。その段階では悪性リンパ腫の疑いがあるとのことでした。今後は腹部切開で、組織を取った検査を行い、もし罹病していたら、抗がん剤と、放射線治療を行うとのことでした。私は自分一人の判断で、それを断り、自宅療養の道を選択しました。私は、自分たちのことより、母のことを考えて決断を下しました。この私の決断で、母の命は自分達が引き受けたことになりました。親戚の人たちの猛反発を受けましたが、それに対して慄然と対峙しました。母の3人の兄弟は遠い昔に他界し、友人も全て亡くなっていました。「もう、早く死んでみんなに会いたい」と何時も言っていました。私たち家族は、常に母とともに生きてきました。母はすごい生命力を持った人でした。27年前に肺がんの手術を受けて、片肺の状態だったのですが、それでも93歳になるまで、私たちと同じ食事をし、同じように行動していましたし、同じ話題に歓喜を味わっていました。母が自宅療養になってから、私たちは24時間看護を行いました。介護補助の申請はせずに、母が呼べばいつでも母の元に駆けつけるため、自宅を離れることはありませんでした。そんな母は私たちのことを神様のようだと言っていましたが、実際はこのような看病をさせてくれた母が神様の化身だったのだと感じています。母は真夜中に苦しくなっても、呼び出しベルを押さずに、朝まで耐えたことが何度かありました。翌朝ベッドの上に起き上がっている母は、「おまえたちが寝ているのを起こしたら済まない。おまえたちは私の看病で疲れているのだから・・・」と言いました。二十二日の深夜に消化管出血をおこし、親族全員に見守られて、そのまま息を引き取りました。葬儀が終えて、その後私が床についてしまいました。38度後半の熱が続き、10日間も意識朦朧としていましたが、ようやく今日、こうしてPCに向かってK/Bを打つ気力が戻ってきました。私は母を最も尊敬しています。母の長男として生んでいただけたことに、この上ない幸せと、感謝の念を抱いています。母の生きた人生に比べて、あまりにも貧弱な人生を生きてきたことを悔やんでいます。せっかく与えていただいた命を完全に燃焼できずに来たことを反省しています。これから、少しでも自己を生起させて、母の子として恥じない生き方をしてゆきたいと思っています。しばらくは「写像」を書けないと思います。多分2500ページあたりで、一時休止となると思います。通読していただいている読者の皆様には大変申し訳なく思います。この場をお借りして、お詫び申し上げます。

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コメント

お疲れ様でございました。
ゆっくり休養されてください。
お母様のご冥福をお祈りいたします。

暖かい励ましの言葉をいただき、ありがとうございます。
自分はまだ、普通の生活に戻れていません。
悲痛の影響か、胸部をやられていて、金曜日にはCTなどの検査を受ける予定です。
早く、復帰したいと思っています。

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